お店再開

デルタ株が猛威をふるい、東京都は医療体制が逼迫し、今コロナになってもほとんどの人が自宅療養という名の自宅放置状態になっている中、恐る恐る店を開けることにした。

今までも不定期でお店は開けていたのだけれど、それはほとんど韓国語プライベートレッスンを受けに来てくれる人のために開けているような状態だった。

それを1週間単位ではあるけれど営業日時をお知らせして、お店を開けることにした。

家族のほとんどがワクチン接種を終えたこと、細々とでもお店に韓国語レッスンの生徒さんを迎え入れながら、これまでなんとか無事にやってきたこともあり、感染防止対策をしながら、9月からは少しずつお店を開けていこうと思う。

今日はお孫さん用にとスタイを、招き猫が好きという方が招き猫をいろいろ、赤ちゃんを連れたお母さんが古本絵本を2冊、買っていってくれた。知り合いではなくて、生徒さんでもなくて、ふらりと寄ってくれる一期一会のお客さん。なんだかとても懐かしくなった。

デパートまではなかなか行けなくて…でもいつものスタイは小さくて…と話してくれた方。大きな招き猫を買って行ってくれた方は、外からも見えるといいよとアドバイスをくれた。

ベビーカーのあかちゃんに思い切り手を振るのも久しぶりのこと。マスク越しだけれで、この笑顔伝われ!と思って思い切り振ってたら、ちょっとニコッとしてくれた。

アフガニスタンのニュース、オリパラ医療品大量廃棄のニュース、そして今日は関東大震災があった日。この状態で今日から新学期。いろいろ知ればしんどくなるニュースが多い中、それでも少しずつ前に進もうと思う。

夏の終わり

今日で8月が終わる。娘中1夏休み最後の日はやっぱり宿題に追われていた。が、兄2人の終わる気配は全くない8月31日とは違って、余裕のある1日を過ごしていたように思う。

とにかくデルタ株とコロナ対策のひどさで東京は大変なことになっており、自宅療養という名の放置状態が続いている。ほとんど夏休みらしいことができないまま夏が終わる。

この夏、いや今年に入ってから1番たくさんしたことは何かといえば、NetflixやAmazonプライムで映画やドラマをたくさん観たことだろう。

【韓国映画】 エクストリーム・ジョブ いつか家族に タクシー運転手 パラサイト ビューティーインサイド 7番目の奇跡 ミッドナイト・ランナー オクジャ 国家が破綻する日 V.I.P修羅の獣たち インサイダーズ 内部者たち 新感線 弁護人 

【韓国ドラマ】D.P  キングダム ラケット少年団 ムーブ・トウ・ヘブン シグナル ヴィンセンツオ SKYキャッスル 梨泰院クラス 元彼は天才詐欺師 愛の不時着 マイ・ディア・ミスター サイコだけど大丈夫 スタート・アップ 椿の花咲く頃 青春の記録 バガボンド ライブ ライフ 秘密の森 明日、キミと キム秘書はいったいなぜ トッケビ 応答せよ1988 シューシュポス

他にも日本や別の国の映画などもいろいろ観た。よかったのは 空とぶタイヤ 人生、ブラボー! Viva 公務員 などなど。

順不同でつらつら書いたけど、その中でもとても印象に残った作品について、すこしずつ感じたことを書いていきたいと思う。

小学生に韓国語を教える

小学2年生の子に韓国語を教えることになった。TXTが好きで、セブチの曲もよく聴く子。

まずはハングルからなのだけど、ここで考えた。

いつもなら、簡単な韓国語の成り立ちを説明したら、母音と子音について、ローマ字の様な組み合わせで文字を作ること、子音には平音、激音、濃音があることなどを反切表を使ってザッと説明するのだけど、小学校2年生だ。ひらがな、カタカナが書けるようになったくらい。漢字やローマ字はこれからだ。

というわけで、説明なしでやることに。

まず、パズル導入。

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ホワイトボードも100均で購入。

そして教材はイヤホンガンガンゲームhttps://cdn.iframe.ly/ZLeRxxs?v=1&app=1

一言一言ハッキリ発音してくれてハングル字幕もあり、しかも好きで何度も観ている動画なので、すぐ頭に入るのでは…。

と思ってやってみた。

さすが、小学2年生!

文字と文字の組み合わせで言葉になるハングルの仕組みがすぐに理解でき、母音と子音の組み合わせってこともわかってくれた。

さて、先週はここまで。

今週はさらにハングルの仕組みを。

市販のパズルでは、合成母音もないし、パッチムも不自然になるので、カードを自作してみた。あとは母音や子音の種類で色分けすればさらにわかりやすくなりそう。

これ、BTSが好きになり、いきなり韓国語勉強したいと言い始めた中学生の娘&娘友だちにも使えそう。いや、大人にも。

というわけで、授業準備が切ったり貼ったりの手作業に。

さて、うまくいくか…。

決戦は月曜日😊

書けなくなって、読めなくなった

2月13日19時過ぎに記事を書いてから今日まで4か月近く、何も書けなかった。

2月13日23時8分ごろ、福島県沖が震源地となる、震度6強の地震が起きた。地震が起きて、宮城にいる長男のことが心配になり、慌てて電話をした。長男は元気で、大丈夫だったのだが、その後頻繁に続く余震や東日本大震災から10年ということでテレビから流れてくる当時の映像に、すっかりまいってしまった。

テレビの映像を見て、当時は知らない町の名前や場所だったのが、今はどこかわかる。あそこがあんなにきれいなのは、あの一帯に津波が来たからだったんだ…とか、今あの津波が来たら、子どもたちは助かるだろうかなどいろいろと考えてしまう。当時の映像とわたしが見てきた町並みが重なってしまって、テレビが見られなくなり、3月11日以降ほとんどネットフリックスだけを見ていた。

2月13日以降、震度4や5の地震が頻繁に起きる中、うちでは次男も長男と同じ高校に行くことになり、入学を喜ぶ気持ちと、心配な気持ちが混ざりあった。次男が高校に入学し、その後大きな震災が起きて、2人になにかあったら、私はずっと宮城に行かせたことを後悔するだろう。でも、大震災がまた起きるかもしれないからと、2人の行きたい気持ちに反対して行かせなければ、それも後悔するだろう。

そんな風に悶々としていたら、何も書けなくなってしまった。そして、何も読めなくなってしまった。次男や末娘の卒入学で忙しかったこともあり、そうしてそのままにしていたら、あっという間に4か月近く経ってしまった。

この4か月間で読めた本は一冊だけ。「想像ラジオ」

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たまたま震災関連の本を棚に…と思って前に仕入れた本だったのだけれど、なんとなくこの本なら読める気がして、少しずつ読んだ。家や車が濁流にのみ込まれる映像からも、ルポやドキュメンタリー本の生々しさからも少し離れ、死をそばに感じながら読んだ本。どうしてこの本だけ読めたのか、今もよくわからない。

そして、数日前またもう1冊本を読んだ。この本を読んで、なんとなく、どうして「想像ラジオ」だけ読めたのか、わかったような気がした。

その本が「本を読めなくなった人のための読書論」なんとなくお店に入れていた本で、未読のものだった。

不安な気持ちをかき消すようにネットフリックスを見ていた当時、私は自分の心の中と対話できなかったのだと思う。地震、津波、原発。自分だけでは解決できない、この国が引きずっているいろんな問題。長男と次男がいる間だけ、その土地に地震、津波、原発で被害が起きなければ…というものでもない。コロナ感染拡大も相まって、気持ちの落としどころが見つからない毎日。

でも、日々は進み、長男も次男も私から離れたその場所で今も暮らしている。2人はやりたかったサッカーでたくさん結果を出して、コロナ禍でいろいろなことがままならない中でも、監督やコーチ、部の仲間たちと元気に過ごしている。私も入学式に行き、寮生活で必要なものを整え、2人の出ている試合を見に行き、笑顔で帰る。

けれどふいにテレビに映る震災の映像が、突然来る地震速報が、怖かった。今も怖い。それでも好きなドラマを見て、好きな歌を聴いて、家族や友だちと笑ったりしながらおいしいものをたくさん食べて過ごした。

そうした毎日を過ごして、書くことと読むことだけができなかった。読みたい本はたくさんあったし、書きたいこともたくさんあったはずなのに。

そんな状態の私に周波数を合わせるかのように入ってきてくれたのが「想像ラジオ」で、そして、そのまた数ヶ月後に目が合ったのがこの、「本を読めなくなった人のための読書論」だったのだ。

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本を読むってどういうことなのかをもう一度言葉にして教えてくれた。あぁ、そうだった。私の中にあるものと対話させてくれるのが本だった。思い出した。

それで今、これを書いている。

読み始めたら、書き始めたら、お店も開けようという気持ちになって、そうしたら、寄ってくれる人がいて、本を介してのやりとりもうまれて、少しずつ何かを取り戻してきたような気がしている。

ネットショップをやっていて思うこと

今日はネットショップで配送間違いをしてしまったお客さまに電話を2件。昨日の夜わかった時点でお詫びのメールを入れて、今日の午前中に電話をする。

いろいろ怒られてしまった時を想定して深呼吸し、心を落ち着かせて電話をする。起こしてしまったミスを説明して謝り、これからどうするかを話す。その道筋を立てて、一回頭の中でリハーサルする。電話をしている間はこちらの気持ちをフラットにして、お客さんの話を受け止めて、頭を下げる。わたしの心が感情でいっぱいにならないように、対応が終わったら、今日は1日ゆっくりしようなど、自分にお疲れさまをするものやことを用意しておく。

どうしてミスをしちゃったのか自分を責める気持ち。わたしじゃなくて夫のミスなんじゃないかと人のせいにしたくなる気持ち。せっかくの週末なのに…と残念な気持ち。いつかのようにものすごく責められるんじゃないかと怯える気持ち。

いろんな気持ちでいっぱいいっぱいだと、伝える相手のことがよく見えなくなる。そういう状態で電話をしてしまうと、こちらの伝えたいことは伝わらない。どころか、自分が何を伝えたいのかすらわからなくなる。

自分からかける電話はそれでもある程度自分で気持ちをコントロールしてからかけられるから大丈夫なのだけど、突然かかってくる電話に対応するのは難しい。それがものすごく怒っている電話だとなおさら。

完全なるいちゃもん電話の場合もあるし、こちらのミス(配送間違いや縫製不良など)の場合もある。こちらに非がないいちゃもん電話の場合でも、いきなり怒鳴られると心は萎縮して傷つく。またそういうことがあるかもしれないと、電話のベルが鳴るたびにドキドキする。

その昔、完全にキャパオーバーになり、お怒りの電話がたくさんかかってきたことがあった。その時はもう電話も見たくなくなって、しばらく電話代行を頼んだこともあったし、夫に代わってやってもらったこともあった。

でも、わたしが一切電話に出ないというわけにもいかないから、自分なりの方法を編み出すしかないと思って、いろいろ考えた。結果最初に書いたような手順を踏んでお話することが多い。

10年たってやっと最近思うのは、ミスはするものだということ。特に新しいことを始めると最初は必ずミスがある。今回もオリジナルのギフトボックスを作り、有料ギフトラッピングを始めた矢先のミスだった。

わたしは完璧な人間ではないからミスをする。それは仕方のないこと。しかしそのミスでお客さんに残念な思いをさせてしまったことも事実。だからそれに対しては誠意を尽くさなければいけない。お客さんに納得してもらえる方法で謝罪をし、修正をすることが最優先だから、そうできるように全力で自分の気持ちも整える。

いきなりやってくるいちゃもん電話については、世の中には本当にいろいろな人がいる。対応できない線を超えたいちゃもんについては対応しない。その人に応えようとする必要はない。ちゃんとネットショップの問い合わせ担当者という鎧をつけるの大事。

今日の2件の電話は、こちらのミスにもかかわらず、とても優しく受け答えしていただき、すごくありがたかった。きっと今までもそういう受け答えをしてくれたお客さんの方がすごく多い。だけど、電話が鳴ってまず浮かぶのは怒られたらどうしようという気持ちだ。

わたしの場合は自分のミスも含めての仕事上の電話での体験だけど、これがもし、1番自分の居場所と感じられるはずの家庭で、1番長く時間を過ごす学校で、電話という間接的なツールではなく、面と向かっていきなり怒鳴られたり叩かれたりしたら、どれだけ衝撃が大きいだろう。たとえ自分のミスだとしても、ものすごく怒鳴られたらつらい。ミスより自分自身がダメ人間に思えてくるし、感情と対応を切り離せない。

そう思うとやっぱり教育だとかしつけだとか、ダメな部分を正すという目的であっても、一方的に怒鳴ったり全人格を否定するような暴言や暴力はたったの1回でもやってはいけないなと思う。

新たに始めてみよう

コロナ感染者が1,000人~2,000人に増え、緊急事態宣言も出された1月始めから、マールはお店を予約制にした。

今店に来るのはオフラインの韓国語レッスンに来てくれる人だけだ。お店を閉めたので、お店に行くことはほとんどなく、自宅でネットショップのPC内の仕事をしている。

もともとお店を開いたのはお客さんの顔が見たかったからだ。実際に手に取る姿を見てみたかった。10年ネットショップをやってきても、買ってくれるお客さんの顔はほとんど見たことがなかったから。

自分たちの作っているオリジナルの商品や、自分のいいと思う本を手渡しで来て、いろんな話ができる空間がお店だったのだけれど、お店を閉めた今、その分ここを開けようとnoteに毎日ものを書き始めた。

ここで書いていることはほとんど自分のためのエールみたいになっている。好きなものや考えたことなどをあとで自分が読み返せるように記録している。今日は立春なので、これからここで始めたいことを書いておこうと思う。

自分に向けて、自分が元気のない時や、ふと何か読みたくなった時に読めるように、自分の好きなものやこと、その時考えたことなどを記録しておく空間として書いていく、というのは1ヶ月ほど前から始めたこと。

もうひとつ、私がお店に来てくれる人に手に取ってもらえたらうれしいなと思って並べてきた本について。今もお店にあるけれど、お店は閉まっていて手に取ることができない本たち。その本の紹介をここでしていこうと思う。できれば1日1冊。

前もInstagramだとか、Twitter、blogでやっては続かなかったことを改めてやってみようと。お店に来てもらうためではなくて、ただただ、やってみることができるかな。

お店を閉めて、自宅にいる時間が増えて、ちょっとぼんやりしてしまった今日の午後、ふと思ったこと。

立春

今日は立春。偶然、昨日メールに不具合があり、1月末で契約が切れたサーバーと契約続行しているサーバーとのメールの切り替えがうまくいっていないことが判明。再度切り替えをしている間に、たまりにたまっていたメールを思い切り削除した。すっきりして立春が迎えられてよかった!がんばった→自分

あけましておめでとう

今日は旧暦のお正月。韓国のお正月はこちらが本番。中国の春節もこれにあたります。

日本のお正月は引っ越しと高校サッカーがあって忙しく、新年の抱負なぞ考えている暇がなかったので、旧暦のお正月にそれを考えようと思ったのだけど、今日もなんやかやと忙しく1日が過ぎてしまいました。

今日は次男の高校進学準備にどうしても必要なことがあり銀座へ。久しぶりに電車に乗って外出しました。

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歌舞伎座。その昔母と何度か行ったことがあります。以前のケアマネさんに目標として、また歌舞伎を観に行くと言っていたことを思い出しました。一緒に行けたらなと思うけれど、今連れて行ったら途中でもう家に帰りたいと言い出すような気がして心配💦

昨日は父の訪問看護の先生の日。始めの頃より表情も柔らかく、先生が帰るときに見送りに立つ父を見て、本当に良くなったなぁと。ケアマネさんもだけど、この訪問看護の先生も出会えて良かった方の1人。

具体的でわかりやすい説明と、人に対して威圧感を与えずにきちんと接してくれるところがすごいなといつも思います。お医者さんはいるだけで威圧感が出てしまう存在ということをわかっていて、そうならないようにしっかり引き算して接してくれているのがわかり、そういう細かい部分がプロなのだなぁと思いました。

今わたしが通っている歯医者さんもそう。職種関係なく、プロの仕事だなぁと思う人があちこちにいるんだということがこの歳になってやっとわかってきたような気がします。

そうそう、昨日はひとつうれしいことがあって。両親の晩ごはんの支度をしていたら、父が台所に来て、ごはんやおかず、お味噌汁がのったお盆を運んでくれたのです。そんなこと今まで1度もなかったので、「持ってってくれるの⁈ありがとう〜!」って、思い切り大きなリアクションで感謝を伝えました。ちょっと疲れてたので、本当にうれしかった。

さて今日はというと、晩ごはんを食べた後はNetflixで韓国映画を観て今に至ります。今日見た韓国映画は「いつか家族に」最初はほのぼのしたコメディっぽかったのが、どんどんそうではなくなっていき…。最後の方は思いもよらない展開となり、なんとも言えない気持ちになりました。最後は現実なのか夢なのか…。現実だったらいいな。

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こうして2021年旧正月の元旦が過ぎていきます。

새해복 많이 받으세요〜

新年快楽〜

「中央駅」キム・へジン著 生田美保訳 彩流社

読み終わって、不思議な気持ちになっている。

※本の内容を書いているので、あらすじもわかってしまうかもしれません。これから読む人は読み終わってから見てください。

最初にカバンを持って中央駅に来た男には、それほどの悲壮感も絶望もないように見えた。実際には職も住まいもなくし、わずかな所持金だけで駅で寝泊まりしようとしているのだから、追い詰められてはいたはずなのに。そして中央駅で女に出会った時、唯一持っていたカバンもとられ、女だけが残る。

韓国に中央駅なんてあったかな?ホームレスと聞いて思い出すのはソウル駅だった。「椿の花咲く頃」でドンベクと母親がどうにもならなくなって一晩過ごした場所もソウル駅だったように思う。訳者あとがきでキム・ヘジンさんがソウル駅のホームレス支援センターに勤める友人のもとでボランティアをしていたことを知る。ソウル駅は韓国と日本を行ったり来たりする時によく行った。噴水があって、何かしらプラカードを持って訴えている人や、カセットテープを売るために音楽をガンガン鳴らしていたり、救世軍が立っていたり。騒々しい場所。あそこで寝泊まりするのは、かなり厳しそうだ。

日本でホームレスと言って思い出すのは新宿駅だ。仕事帰り、せかせかと歩く地下道にホームレスが段ボールのうちを作っていたのはもう30年くらい前のことか。遠くからでも臭ってきて、男か女か、若者が老人か見分けがつかない人たち。今の新宿駅にホームレスの居場所はない。

所持金も全部取られて、広場で女と待ち合わせ、時間つぶしにゴミを拾って歩く男は、いらいらしてけんかしたりもするが、それほど絶望やどん底にいるような感じがしなかった。

男でしかなく、女でしかなく、家もお金もなく、過去も未来もない、というのはそれほど苦しいことでもないような、そんな気さえしてきていた。

それが男は女と安らかに寝られる場所を確保するために他人の安住の地を奪う仕事を始め、そのお金で女は何もない四角い部屋に入る。それからの物語はすさまじく苦しくなった。

いろんなひとやもの、町と間接的につながって見せものになる広場と、全てを遮断して男と女だけの場所を作る部屋。2人ともその部屋が苦しくて広場に来たのではなかったか。

自分の身分も売って女を守ろうとした直後にまた広場で身ぐるみ剥がされる男。体を巣食った病から逃れられない女。男には自分を守れないことを、女はよく知っているように思えた。

きちんと名前で描かれる支援センターのカンチーム長や古物屋で働くソク氏、隣部屋の少女ソラとは違い、男と女は最後まで名前がない。いや、女の名前を呼ぶ場面があったから、男は女の名前を知っているが、私たちにはわからない。

中央駅で身ぐるみ剥がれてただ人間という動物になっている人たち。毛もなく筋力も弱く、飛べない、動物界では最下層に位置しそうな人間という動物。とことん堕ちていき、人間のルールから自由にはなったが動物であり肉体があることからは逃れられない人たち。

女を失った男は自分の生存競争に出かけていく。そこは再開発で立ち退きが決まった場所だ。立ち退かせる側と立ち退かない側との闘い。だが、立ち退かせてその場所を手に入れるのは実際に闘った人たちではない。

「こびとが打ち上げた小さなボール」を思い出す。

偶然みたこの動画を思い出す。ソウル最後のスラム街(Bloomberg) – Yahoo!ニュース「私は行く場所がなく、32年もこの悲惨な状況で暮らしています」。ベニヤ板と防水シートの小屋が並ぶソウル最後のスラム街、九龍news.yahoo.co.jp

きらびやかな超高層ビル群もスラム街もホームレスも結局は椅子取りゲームだ。どれだけ蹴散らかして自分の椅子を確保できるか。男は生きようとすれば過酷なそのゲームから逃れられない。逃れたいと思っているのに逃れられない。それはわたしもそうなのかもしれない。だから、中央駅にいた人々には絶望やどん底を感じなかったのもしれない。

母の病院

在宅看護での母の血液検査の数値が悪く、心配なこともあったため、大きな病院でさらに採血とCTを撮ることになった。介護タクシーを頼み、車椅子を借りて朝からあっち行ったりこっち行ったり。

最初は「ごめんね。いろいろありがとうね。」と朗らかだった母だが、時間が経つにつれ不機嫌になる。「まだなの?」「わたしだったら、まだなのか、あとどれくらいなのか聞いてくるのに!」「もう、いや。うちに帰りたい。」を延々と繰り返す。なんなら、検査を入れたわたしが悪いような、意地悪してここに連れてきたような言われよう。

母はこだわりが強い。帰りたいとなったら、ずっと帰りたいし、呼ばれるものがなかなか呼ばれないのがどうしても我慢ならない。「わがまま言ってごめんなさい。よろしくね。」と、言葉は丁寧だが、いついかなる時でも、自分の要求が通るまでこっちの都合関係なく何度も言われる。

これも認知症なのか、老化現象なのか、もともとの性格なのかわからない。考えてみたら、母がもともとどんな性格なのか、実はよくわかっていなかったりする。

診察後、「CTの結果は2度手間になりますが、後日ご家族の方に来てもらいますか?」の問いに「早く帰りたいのでそうしてください。わたしは行かない。もう帰りたい。」と即答。わたしの都合を聞かないの?と思うけど、この後結果聞くまで「まだなの?」攻撃を受けることを考えたら、別日に1人で来た方が楽。

その後も、トイレに行くのに「あなたには迷惑かけないから。ついてこないで!」と大声を出しつつ、車椅子で勝手に行ってしまい、ドアの前に車椅子を乗り捨てる。会計している間に、またまた勝手に出口まで行ってしまい、探しまわっていると「こっち、こっち!」と手を振る。

もし大変な病気だったら…と、できるだけ悪くならないうちに…と、いろいろ手配していた時は母への温かい気持ちがあふれていたが、もう2度と連れて行きたくないと思う。「なんでそうやって自分勝手なことばっかりするの⁈」と病院のロビーで怒ってしまい、帰りの介護タクシーではお互い無言になってしまった。その後「薬はまだ買ってないの?晩ごはんはよろしくね。」と言われて、わたしはお手伝いさん⁈と思ってしまってモヤモヤ。

でも今日はわたしよりもずっと心広く、優しい気持ちで介護している方や、わかりやすく老人介護の実態について描いている方のnoteを読んで心を落ち着かせることができた。

わたしも親の歳になったら、こうやって子どもたちを困らせてしまうのか…と不安になるのだけど、なるべくそうならないようにして行きたいなと思う。