電子書籍ことはじめ

おととし、韓国語の翻訳に興味を持ち、去年翻訳のワークショップに参加したり、翻訳コンクールの課題本を読んでみたりした。

今年も翻訳コンクールの課題本が発表されたことを、以前一緒に韓国語翻訳を勉強した仲間から聞いたのだが、今回は自分の韓国語力のなさに、もう少し韓国語を勉強してからと思って、TOPIKとハングル検定の準備だけにして、翻訳はパスしようかと思っていると書いた。

そうしたら、

「諦めないでください。試験は基礎力をつけるのには重要なんでしょうが、本当の語学力をつけるには小説を読むのがいちばんだと言います。これから女性の翻訳家が数多く求められる時代が来るそうです。いずれも先達の言葉なので信じて下さい(笑)。試しに挑戦してみませんか。」

とのお返事が。本当にそうだ。いいことを言ってくれたとありがたく思い、どんな本なのか見てみることにした。書評を読むとコロナ禍のことをテーマにした本で興味深いものだったので、取り寄せることにした。그녀들 중 한 명, 코로나 확진자가 됐다지난 주말 몸살로 열이 38도까지 치솟았다. 온몸을 난타하는 통증보다 정작 더 큰 공포는 ‘혹시 나도 코로m.hankookilbo.com

今まで韓国語の本は夫が韓国に行った時に買ってきてもらったり、チェッコリで注文したりしていたが、今回は教保文庫(韓国の本屋さん)でネット注文してみることに。

読んでみたい本が何冊かあって、まとめて注文しようとしたら、その中の数冊はebookでも読めるとの案内が。ebookなら送料がかからない。教保文庫はFedExを使っているのだが、1冊の送料が1,000円くらいかかってしまう。ebookなら送料分が浮くのでとても助かる。

今回私が注文したのは「우리가 우리를 우리라고 부를 때」

画像1

韓国で明るみになった大規模なデジタル性犯罪、n番部屋事件。それを最初に警察に通報し、潜入取材を続けた女子大学生2人のルポルタージュだ。

決済するとすぐに書籍がダウンロードされ、読み始めることができた。電子書籍は字を大きくすることもできるし、わからない言葉にマーカーをつけることもできるのでとても便利だ。

紙の書籍が好きで、電子書籍はあまり使っていなかったのだけど、スマホでならいつでもどこでも読めるし、海外の本も送料気にせずすぐ読めるので、とてもいいなと思った。今年は電子書籍の割合が多くなるかもしれない。

じいじの春

母が恥骨と大腿骨を続けて骨折し、2度も長期入院をしたのが3年ほど前。骨粗鬆症が進んだことで、骨折しやすくなっていたことがわかり、今は月1で骨を強くなる注射をすることに。それからは1度も骨折していない。(骨粗鬆症ってコワい…)

母は専業主婦だったので、家のすべてを取り仕切っていて、父は料理も掃除も一切したことがなかった。母の足が悪くなってからは買い物は父がしていたけれど、それも母指定のものを買ってくるだけ。お酒ももちろん朝から飲むことなどはNG🙅‍♀️だった。

それが母入院で変わった。その頃からわたしたちも一緒に住み始めたので、掃除や洗濯はわたしたちがやり、食事は一緒のものを食べたり、好きなものを買ってきたり、レストランで食べたりしていた。

そのあたりから、わたしたちが仕事をしている間にちゃちゃっとビールを買ってきて、昼から飲むようになり、夜ももちろん飲み、朝起きられなくなり…。母が退院してきても、それは変わらずだんだんひどくなっていった。

母が入院し、好きなものを好きなだけ、時間も気にせず飲めるようになり、朝から起きなくてもよくなり、もしかしたら最初は自由を満喫していたのかもしれない。母は認知症もあるからかどんどんこだわりが強くなり、買い物する前によくケンカしていたし。あれがじいじの春だったのかもしれない。

そんなふうにも思っていたのだけれど、父はその後どんどん起きられなくなり、夜中出かけようとしたり、おかしな言動が多くなっていき、ビールを買って帰る途中で転んだり、飲んで帰る途中で転んだりして、見知らぬやさしい人がじいじの携帯から電話をくれて迎えにいったりということが続いた。そしてそんなある日、わたしは怒って飲みかけのビールを父の目の前で捨てた。つかみかかろうとした父の手を押さえると全然力がなくて、なんだかとても小さく、簡単に父の手を降ろすことができた。その時「さびしいんだよ。楽しみがこれしかないんだよ。」と父は言った。

そうか、父はさびしかったんだな…と思ったけれど、そのさびしさは自分で乗り越えてくれと思って、寄り添うことはしなかった。母にも「あなたもこの歳になればわかるわよ。どんなにつらいか。」と嘆かれたことがあったが、その時も寄り添うことなく、自分で楽しみを見つけて乗り越えてくれと思った。一軒家があって、夫も娘家族もいて、孫もいる。充分じゃないのか?と思うわたしは冷たいのか?とも思ったけれど、そのさみしさはわたしが80歳を超えたらわかるのかもしれない。

つい最近、だいぶ落ち着いた父がケアワーカーさんと話している時「歳をとるって…こんなもんかと思いましたよ。こんなもんかって…。」とつぶやいていたのが印象に残っている。本人はそんなことを言ったことも、ケアワーカーさんに会ったことも、もう覚えていないけれど。

子ども時代は戦争で、集団疎開で死ぬ思いをして、成人してからはずっとサラリーマンで働いて、定年してのんびりできたと思ったら他にすることがなくて、あっという間に80歳を超えていて、気がつけばお酒と認知症で、その上おばちゃんになったコワい娘ににらまれ、ビールを取り上げられている…。

ちょこちょこと楽しいこともあっただろうけれど、会社と家庭にコントロールされて、今はまたデイケアにコントロールされている父を見ると、ほんのちょっとだけ悲しくなる。好きに自由に暮らせる時はあったのかなと。

好きに自由に暮らすって、自分で自分をコントロールすることだから、意外に1番技術が要ることなのかもしれない。自分の機嫌と体調管理を自分の手で行い、人生をつくることだから。

父をデイケアに送った後、ふとそんなことを考えてしまった。