じいじの春

母が恥骨と大腿骨を続けて骨折し、2度も長期入院をしたのが3年ほど前。骨粗鬆症が進んだことで、骨折しやすくなっていたことがわかり、今は月1で骨を強くなる注射をすることに。それからは1度も骨折していない。(骨粗鬆症ってコワい…)

母は専業主婦だったので、家のすべてを取り仕切っていて、父は料理も掃除も一切したことがなかった。母の足が悪くなってからは買い物は父がしていたけれど、それも母指定のものを買ってくるだけ。お酒ももちろん朝から飲むことなどはNG🙅‍♀️だった。

それが母入院で変わった。その頃からわたしたちも一緒に住み始めたので、掃除や洗濯はわたしたちがやり、食事は一緒のものを食べたり、好きなものを買ってきたり、レストランで食べたりしていた。

そのあたりから、わたしたちが仕事をしている間にちゃちゃっとビールを買ってきて、昼から飲むようになり、夜ももちろん飲み、朝起きられなくなり…。母が退院してきても、それは変わらずだんだんひどくなっていった。

母が入院し、好きなものを好きなだけ、時間も気にせず飲めるようになり、朝から起きなくてもよくなり、もしかしたら最初は自由を満喫していたのかもしれない。母は認知症もあるからかどんどんこだわりが強くなり、買い物する前によくケンカしていたし。あれがじいじの春だったのかもしれない。

そんなふうにも思っていたのだけれど、父はその後どんどん起きられなくなり、夜中出かけようとしたり、おかしな言動が多くなっていき、ビールを買って帰る途中で転んだり、飲んで帰る途中で転んだりして、見知らぬやさしい人がじいじの携帯から電話をくれて迎えにいったりということが続いた。そしてそんなある日、わたしは怒って飲みかけのビールを父の目の前で捨てた。つかみかかろうとした父の手を押さえると全然力がなくて、なんだかとても小さく、簡単に父の手を降ろすことができた。その時「さびしいんだよ。楽しみがこれしかないんだよ。」と父は言った。

そうか、父はさびしかったんだな…と思ったけれど、そのさびしさは自分で乗り越えてくれと思って、寄り添うことはしなかった。母にも「あなたもこの歳になればわかるわよ。どんなにつらいか。」と嘆かれたことがあったが、その時も寄り添うことなく、自分で楽しみを見つけて乗り越えてくれと思った。一軒家があって、夫も娘家族もいて、孫もいる。充分じゃないのか?と思うわたしは冷たいのか?とも思ったけれど、そのさみしさはわたしが80歳を超えたらわかるのかもしれない。

つい最近、だいぶ落ち着いた父がケアワーカーさんと話している時「歳をとるって…こんなもんかと思いましたよ。こんなもんかって…。」とつぶやいていたのが印象に残っている。本人はそんなことを言ったことも、ケアワーカーさんに会ったことも、もう覚えていないけれど。

子ども時代は戦争で、集団疎開で死ぬ思いをして、成人してからはずっとサラリーマンで働いて、定年してのんびりできたと思ったら他にすることがなくて、あっという間に80歳を超えていて、気がつけばお酒と認知症で、その上おばちゃんになったコワい娘ににらまれ、ビールを取り上げられている…。

ちょこちょこと楽しいこともあっただろうけれど、会社と家庭にコントロールされて、今はまたデイケアにコントロールされている父を見ると、ほんのちょっとだけ悲しくなる。好きに自由に暮らせる時はあったのかなと。

好きに自由に暮らすって、自分で自分をコントロールすることだから、意外に1番技術が要ることなのかもしれない。自分の機嫌と体調管理を自分の手で行い、人生をつくることだから。

父をデイケアに送った後、ふとそんなことを考えてしまった。

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