すきなようにやんなさい

じいじの認知症がひどくなり、それに加えてアルコール依存もひどくなった2020年。

どっちが先なのかはニワトリが先かたまごが先かみたいな話だけど、認知症とアルコール依存が交互に進んでいく感じ。ビールの本数と飲む時間を制限すると必ず言ってくるのが、「もう老い先短いんだから、好きなようにさせてくれ!」のひとこと。

で、好きなようにさせるとあっという間に昼夜逆転、酒浸りの日々になる。

ほんの1、2年前までは全然そんなことはなかったのだけど、母が入院して、昼間からビールを買って飲むようになったら、あっという間に朝起きられなくなり、寝てばかりいる人になってしまった。

ずっとサラリーマンで朝定時に起きて朝ごはんを食べ出勤する毎日。定年退職した後も朝ちゃんと起きていたのが、母がいなくなったら、あっという間に崩れ、退院して帰ってきてもなおらず。

あちこち相談に行くも、アルコール依存症は本人に治す気がないと治療できませんと言われ、本人はお酒をやめる気はさらさらなく。

足腰も丈夫で、確定申告も自分でちゃんとやっていた父は介護保険やケアマネがつくこともなく、老人会などにはハナから関心もなく…。

1度無理やりセッティングして、介護保険の面談を受けた時は要支援だった。

それがコロナ禍の中ではあったけれど、いろいろあって、やっぱりおかしい!ちゃんと見てもらいたいと再度申請したら、今度は要介護3に上がっていた。

その間1年。2年もなかったように思う。とりあえず母のケアマネさんに一緒に診てもらうことにしたものの、ケアマネさん、ほとんど父と面談しない。わたしがいない時にささっと母に会うだけ。電話でいろいろ相談してみても、本人の希望に合わせましょうばかり。週2回のデイケアとは繋げてくれたけれど、週2回なので、行った後2日ほどはお休み。なので、また行く時には忘れてて、行きたくもないので、毎回「やだ!まだ寝る!行かない!」と怒る。

思いあまってあんしんすこやかセンターに相談。ケアマネさんを変えてもらうことにする。そのあたりで、前住んでいた部屋が空いた。で、そこに家族だけで引っ越すことにした。

父は勝手に私たちの部屋に入って寝っ転がったり、夜中にビールはないかと怒ったりしていて、かなり限界だったので、逃げた。親不孝でもなんでもいいから、住まいを別にしたかった。

両親共に残り少ない人生だから今から住む環境を変えるのはかなりの負担になるだろうと、同居を決めた時から、なるべく居住空間は変えずにいた。始めは2度も骨折→入院を繰り返した母が寝たきりになるんじゃないかと、うちら家族が2階、両親が1階を使えばいいと思っていたのだけど、思った以上に回復。母の強い希望で両親の寝室は2階に。子どもたちも2階。私たち夫婦は1階で寝起きすることになった。

学校やサッカー、仕事でバタバタする私たちと、日々のルーティンは変えたくない母とビールを探して紙パンツ姿でうろうろする父。その最中にコロナまでやってきて、家の中はカオスになった。

変えてもらったケアマネさんは、わたしの話を聴き、父や母にも会って話を聴き、デイケアを週4に増やし、アルコール依存症にも詳しい訪問のお医者さんとつなげてくれた。歯医者さんの訪問、紙パンツ支給の手続きもしてくれた。その間ほぼ2週間。それまでのケアマネさんとまったく違う仕事の早さにびっくりした。

訪問歯医者さんからは、誤嚥の原因は歯よりも舌や頬の使い方が衰えることから起きること、依存症に強い訪問看護のお医者さんからは胃を切除した人がお酒を飲みすぎるとビタミンがどんどん減って、それが原因で認知症が進むことがあると教えてくれた。

この訪問看護のお医者さんと看護婦さんは、とても人あたりが良くて、今までだと初対面の人が来ると、ものすごく警戒する父が、楽しげに自分のことを話し、採血もすんなりやってたことにびっくりした。

ケアマネさんもとても優しくて、訪問看護が入る時も、最初は立ち会いに来てくれた。その前に父の容体が心配になった時は、ケアマネさんに話しても埒があかず、母の訪問看護に来てくれている人に、1度だけでも様子を見てほしいとお願いして、わたしがつなげたのだった。

介護保険の制度は本当に手厚いなと思うけど、最終的には制度じゃなくて人だなとしみじみ思った。訪問看護の病院は血液検査の結果、ビタミンがかなり足りないからと、年末だったのに、開いている最寄りの薬局を探してくれて、そこに処方箋をFAXで送ってくれたので、スムーズに薬が受け取れた。

初顔合わせは24日のクリスマスイブだったのだけど、これでまた少し改善されると思うと、わたしへのいいクリスマスプレゼントになった。

引っ越しについては、ケアマネさんに、わたしが日中は実家で仕事をしているし、何かあればすぐ駆けつけられる距離にいること、自律して生活できているうちは少し離れたところから両親を見守りたい。そして、来年春には次男が地方の高校に行ってしまうので、うちの家族だけの時間も大切にしたいと話すと、それも大切なことだと思いますと、わたしの話を聴いてくれ、寄り添ってくれたのが、本当にありがたかった。

そんなこんなで怒涛の引っ越しをし、朝ごはんと晩ごはんの準備はわたしがして、デイケアの送り出しも毎朝実家に行ってわたしがすることになったのだが、

「一人娘からこんな仕打ちを受けるとは思わなかった。どうせ、死ねばいいのよね、あぁ早く死にたい」と、また母の呪いの言葉が始まり。

2階を使うこと、洗濯する曜日や時間、朝ごはんの時間をずらしてほしいこと、買いだめしすぎについていろいろ言った時などその度に出てきた呪いの言葉。

わたしは親不孝かもしれないけど、ここは譲れない。と思った時には、もう、呪いの言葉として聞き流すことにしていたので、この引っ越しの時も、あーまただ…と思ったのだけど、そんな時に父が

「すきなようにやらせてあげなさい、ご飯の準備はしてくれるって言ってるじゃないか。好きなようにやんなさい。」と、めちゃくちゃまともな口調で話してくれたのだ。

週4日のデイサービスも、帰ってくると行ったことを忘れて、毎朝「どこ行くの?一緒に行ってくれるの?え?お風呂⁈」と新鮮な驚きをしている父が。

これはうれしかった。

母はこだわりが強く、わたしにこうあってほしい姿を当てはめようとするところがあったのだけど、それを打ち消してのびのびやらせてくれたのは父だったんだなと。

このコロナ直前、ビール買いにふらふら出かけてひっくり返って救急車とか、帰る道がわからなくなってパトカーに乗って帰ってきたり、コロナがひどくなってもマスクはつけないし、本当にいろいろあったけど(今は日中デイケアだし、ビールは1日2本夕食時のみであとは隠しているし、日中デイケアで疲れるからかそれ以上はあまり探さなくなってきた)少し離れたこと、両親を見てくれる人、相談できる人が増えたことで、わたしも余裕を持って、前より愛を持ってみられるようになった。

この過程って子育てにそっくりで、自分の仕事、やりたいことは辞めずに、公的な制度をなるべく利用して、身近な人をたくさん頼ることが本当に大事だと思う。

わたしも近所の友だちにたくさん愚痴ったし、いろいろアドバイスくれたり、介護に関するチラシを持ってきてくれたりがありがたかった。

子育ても介護もわりと愛で語られることが多いけど、こうしてあげたいな♡と思えるのは自分に余裕があるからで、余裕がないとそんなことできない。余裕がないのにやっていると、だんだん黒いかたまりができてきて、なんでわたしがこんなこと!と、憎悪が生まれる気がする。子育ての時はいい母になろうと一生懸命だったりするので見えづらいけど、老人介護ではあまりいい娘になろうと一生懸命にはならないから、そのあたりがわかりやすい。

「好きなようにやんなさい」って、とてもシンプルな一言だけど、シンプルじゃないいろんなことがあった上での一言だったので、なんだかとても胸に残った一言だった。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中